昨日、用事で三条河原町周辺を歩いていたら、こんなものを見つけました。
なにやら大きい石があり、その横に「辨慶石」と書かれた石標がありました。
その横に由来が書かれたものがあります。
「辨慶石の由来より」
この石は辨慶が熱愛したといわれ、幼少の頃辨慶がこの三条京極に住んでおり、死後この石は奥州高館にあったが、この石が発声鳴動して「三条京極に行く」といい、同時に熱病が蔓延したのでその土地の人が恐れて今から約五百年前に三条京極に移し、以来、ここを辨慶石町と称するようになりました。
その後、誓願時方丈の庭に移りましたが、明治26年ここに引き取られ、昭和4年にこの場所に建立されました。
ということだそうです。
石が「発声鳴動」して「三条京極に行きたい」と言ったことはいかにも言い伝えらしいですが、ここにどっしりいる姿を見ているとそれもあながちウソじゃないような気がしてきます。
辨慶石といえば・・
そう、当店に展示している洛中洛外図陶板にもあったような気が・・
見てみました。
ありました。
三条大橋の近く
こんな場面がありました。
力自慢の男たちが相撲を取ったり大きな石を持ち上げているところ、
そして、これが
辨慶石の場面
赤丸のところは「べんけい石」と書いてあります。
これは大きな石を持ち上げているところです。やんや、やんやと手を叩いて盛り上げている人がいるのも可笑しいですね。
この場所が先ほどの「辨慶石」があるところ。500年近くたっても場所はそのままに「辨慶石町」という地名になっているところがすごいです。
この元絵となった屏風図を描いた狩野永徳は力持ちの「辨慶」にちなんでこんな場面を描いたのでしょうか。
本物の辨慶だったらあの大きな辨慶石を持ち上げていたかもしれませんね。
この辨慶石があるところは
京都市中京区、三条通と麩屋町通が重なる道を寺町通の方へちょっと行くと、ビルの前にあります。
洋服屋さんやカフェなどが近くにあります。
お出掛けのついでに見てみて下さい。洛中洛外図陶板はギャラリー洛中洛外へぜひどうぞ。
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