昨日は京都の上京区にある本法寺(ほんぽうじ)というお寺に行って来ました。
今は「京の冬の旅」という旅行企画でこの時期だけの特別公開もしています。
本法寺 本堂
本法寺は
室町時代に日親上人が創設した日蓮宗本山の一つで、桃山時代から江戸時代にかけて、書画、陶芸から茶の湯、作庭まで多岐にわたる才能を発揮し、鷹峯に「芸術村」を開いた芸術家・本阿弥光悦の菩提寺として知られています。
豊臣秀吉の命によって現在地へ移転する際には、本阿弥家が私財を投じて伽藍の整備に尽力しました。
(非公開文化財特別公開ガイドブックより引用させて頂きました)
実は・・この本法寺に行ったきっかけは大学生の娘で、娘は京都ガイド協会に入っており、この本法寺でガイドをしているのです。
ただ、行ってみるとこの本法寺はギャラリー洛中洛外にもかかわりがあることがわかりました。
それはこの本法寺にゆかりのある長谷川等伯です。
「長谷川等伯」とは
安土桃山から江戸時代を代表する絵師。等伯が能登国から京都に移り住んだ際、菩提寺であるこの本法寺を拠点に活躍した。今も本法寺の寺宝として等伯の描いた絵や屏風図を所蔵している。
本法寺境内に立つ長谷川等伯像
ギャラリー洛中洛外では、この長谷川等伯の写しの作品を多く展示販売しています。
これが等伯が描いた屏風図をもとにした「松林図 陶額」です。
等伯の世界がそのままに京焼の絵師の手によって陶額の作品となっています。
当店にはこのような作品が他にも数多くあります。
ちなみにこの等伯と同時期に活躍した絵師、狩野永徳の作品、洛中洛外図を手描きで写したものもギャラリー2階に展示しています。洛中洛外図HP
本法寺の話に戻りますが・・
長谷川等伯といえば、本法寺には「京都三大涅槃図」の一つ「佛涅槃図」(国指定重要文化財)が所蔵されています。
(ただ、通常は複製が展示されています。毎年3月14日~4月15日の期間に本物を見られるそうです。)
※本法寺パンフレットより
「涅槃図」とはお釈迦様がお亡くなりになり横たわっておられる周りをお釈迦様を慕って嘆き悲しんでいる人々、動物の姿を描いた絵です。
この絵はすごく大きくて(縦10㍍・横6㍍)それにもびっくりなのですが、複製とはいえ色彩の素晴らしさに息をのみます。
600年ほど前にこんな色鮮やかに壮大な絵を描ける人がいたのかという驚き・・そしてまた「涅槃図」という荘厳な主題に圧倒されてしばしたたずみました。
また、学生ガイドの方がこの絵について説明して下さるのでよりわかりやすく絵を鑑賞することができます。
私がお話を聞いて一番心に残ったのはお釈迦様のお母様、マーヤー夫人が投げてよこした「薬袋」の話です。
せっかくマーヤー夫人が息子のためを思って投げたお薬だったのに薬袋は木にひっかかってしまい(..;)
ここで、私は「え?」と思いました。なぜ?投げる?持って行ってあげないの?
これは後で思い出したのですが、マーヤー夫人はお釈迦様を生んで7日目に亡くなっているのです。
つまり、マーヤー夫人は天、あの世にいるので、天上からしかお薬を投げられないのです。
しかし、その気持ちもむなしく木にひっかかってしまう・・
下図。オレンジの丸の中にある黒いものが薬袋です。
それをなぜか「取りに行きます!」と言ったネズミが猫に食べられてしまい、薬は間に合わずお釈迦様は亡くなってしまった(>_<)
なんと!ネズミさんショック!でもネズミも亡くなった
母の心が無に・・そして善意のネズミも亡くなる
まさに諸行無常の鐘の声・・
そのお話のために涅槃図にはあまり猫が描かれていないとか。でも珍しくこの涅槃図には猫が描かれているそうです。(等伯が猫好きだったのかな?)
そうそう、お薬を処方するのも「投薬」といいますが、この言葉はここからきているそうですよ。
あ、等伯自身の姿もこの中に描かれているそうです。それがどの人なのか見に行った方のお楽しみ。ガイドの方に教えてもらえます。
この絵には深い意味があり、また楽しみ方もあり、とても勉強になりました。
長くなってしまいました。。まだこの本法寺には見所があるのでそれは次回に
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