皆さん、こんにちは。
すっかり涼しくなって季節は確実に秋に向かっています。
ほんとう?に今年の夏は暑かったですね・・・
暑すぎて色んなことがおっくうになってしまってましたが、秋になり、いい季節になり色んなことが楽しめそうな気がしています。
皆さんはいかがですか?
さて‥前回の西岡さん訪問に引き続き、今回は番浦匠さんの工房をご紹介します。
番浦匠さんは1968年京都生まれ。
京都市立銅駝美術工芸高校陶芸科を経て京都精華大学美術学部造形学科陶芸専攻卒業。
卒業後、叔父である番浦史郎氏に師事。
その後、京都山科区にて開窯。
番浦匠さんの作品の一つをご紹介します。
花鳥文 珈琲碗皿
粉引に線彫を施し、そこに色絵や金彩を差していくという技法で作られています。
これは他に類を見ない珍しい技法です。絵柄が白い生地に映え、存在感のある可愛らしい仕上がりになります。従来の絵付けの方法、線描きとはまた違った表情が生まれます。
下の方に金彩も施され、豪華な雰囲気になっています。
さて、このような器を作っている方はどんな方なのでしょうか。
番浦匠さんの工房を訪ねました。
番浦さんの工房は京都、山科区にあります。
この方が番浦匠さんです。インタビュアーの質問に答えられる番浦さん。
お話は、この道に入ったきっかけからはじまりました。
祖父は漆芸家、叔父は陶芸家という環境から幼いころから物作りをされるところを見ていたので、この道に入ったのは自然な流れだとおっしゃいます。
そして大学を卒業後、叔父の陶芸家・番浦史郎氏に師事されました。
番浦史郎氏は三重県・伊賀上野の音羽という地で工房や家屋を建てられ、陶芸家はもちろん、様々な芸術家が集まる芸術村を作られました。
陶芸だけではなく、色んな芸術・文化に精通されていた方だったそうです。
日本画家である加山又造さんはお義兄さんにあたり、親しく交遊があったようでその村にはたびたび行かれ、一緒に作品も作ったりされたそうです。
また番浦史郎氏が師事された方が北大路魯山人の弟子でした。
その影響でしょうか、北大路魯山人と同じく、料理にも堪能で食にこだわっておられたそうです。料理をどのような器に入れたら映えるかということを常に考えておられた方だったといいます。
番浦匠さんはそのような環境で修業時代を過ごされました。
番浦史郎氏はどんな方だったかとお聞きすると、「ああせい、こうせい」といちいち指示される方ではなかったそうで、匠さんは史郎氏が作陶する姿を見て色んなことを学ばれたそうです。
独立してからも番浦史郎氏の影響は大きくよく師匠はどんなものを作っていたかなあ‥と考えるそうです。
食器を作る時もどのような配置に絵付けをしたら料理が美味しく見えるかも考えながら絵を描くとおっしゃいます。
さて‥独立してはじめのころは粉引の無地のものを作っておられたそうですが、
粉引を作る人は大勢‥その中でオンリーワンのスタイルを確立するためには、いかにも「京焼」とか「和」というものでは他と同じになってしまう‥いっそ日本の京都から離れたオリエンタルな絵柄を入れてみるのはどうだろうと考えてアラベスク模様やオランダ葉紋などを取り入れられました。