2013年8月アーカイブ

皆さん、こんにちは。

まだ、暑さは残っていますが、そろそろ秋の気配を感じますね。

 

先日、西岡義弘さんの工房を訪ねました。

西岡さんの作品といえば白磁で、凛としたとても上品な印象です。

 

青白瓷縞花生.JPG青白瓷縞 花生

 

ほんのり青味がかかった青白瓷で縦に縞のように筋が入ったとても美しい作品です。

 

 

このような美しい作品を作る西岡さんという方はどんな方なのでしょう。

 

 

 

このギャラリー洛中洛外のHPに「作家インタビュー」というコーナーがあります。こちら→作家インタビュー

今までもこのギャラリーの作家さんを何人かご紹介しています。

今回の西岡さんのインタビューもそのコーナーにアップするための取材です。

プロのインタビュアーの方とカメラマンが取材されます。

私もいつもそこに同行させてもらってます。

作家さんとはギャラリーに来られた時にお会いはするのですが、やっぱり作っておられる場に伺うとその作家さんの人となりや作陶に対する思いなどが伝わってきてとても興味深く、いつも楽しみにさせてもらっています。

 

 

 

西岡さん表札.JPG

 

 

 

 

 

 

西岡さんの工房はギャラリー洛中洛外のあるここ、清水焼団地からほど近いところにあります。

西岡さんの工房の表札。

なんと読むのか‥その真意は?

 

それは後ほど。。

 

 

 

工房の中にお邪魔し、窯などを見せて頂きます。

この窯からあの美しい作品が生まれてくるのですね。

西岡さん6.JPG西岡さん5.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

窯の棚板の上にも作品が並べられています。

  

 

その後‥

 

 いよいよインタビューが始まります。

西岡さん7.JPG工房内でインタビュアーの方から取材を受ける西岡さん‥。

 

 

 

 

私もお話を聞かせてもらいました。 

 

 

 

西岡さんは昭和34年京都生まれ。

 

まず陶芸を志したきっかけは学生時代に民芸運動に出会い、柳宗悦の文章に共鳴したことだそうです。

柳宗悦は朝鮮陶磁器の美しさを唱え、また無名の人々が手仕事によって作る日常品の美しさを改めて世に知らしめ、民芸という言葉で表した思想家です。

その柳宗悦の思想に共鳴し、もともとモノづくりを生業にしたいと思っていた西岡さんは陶芸の道に入ることになります。

昭和58年、24歳の時京都・五条坂の藤平陶芸の藤平伸さんという作家さんの師事を受けることになります。

そこで、そのお人柄も仕事も大変個性的だった藤平さんに影響を多く受けたそうです。

 

その後京都府立陶工職業訓練校、京都市工業試験場研修コースを経て、再び、藤平陶芸に勤務、そしてその後宇治、炭山の工房に勤務ののち、平成12年、41歳の時に自宅にて工房を構えられ、独立されます。

 

今は西岡さんの作品といえば、白磁というイメージが強いですが、はじめは色んなものを作っておられたそうです。

そのうち、西岡さんの白磁の作品を見られた方に「あなたは白磁をされるといいのでないですか?」といわれ、それがきっかけで「これ一本でやってみよう」と白磁の道に入られることに。

白磁はその名の通り白い磁器。中国陶磁や李朝陶磁にも魅かれた西岡さんは自分なりの白磁を作ってみようと白磁の世界にのめりこんでいかれます。

白磁はシンプルだけどシンプルゆえに形や質感がストレートにわかるものです。

同じような材料を使って同じように作っても貫入の出方など同じようにはできない。

白という色だけに見る人がイメージを広げやすく、そしてどんな料理にも合いやすい白磁。

見る人、使う人が自由にイメージを膨らませやすい白磁は西岡さんの趣味である能の世界に似ているそうです。

能装束こそ派手なものもあるけれど、動きはシンプルそして芯をしっかり持つということが大事ということが共通しているそうです。

そして、見る人が自由にイメージを膨らませやすいのも似ているそうです。

西岡さんが能や謡を趣味にされているのは知ってましたが、そこに作陶との共通点を見出しておられるなんて、初めて聞きました。

そう聞くと、西岡さんの作品がますます高貴なものに思えてきます。

 

西岡さん2.JPG作品についてお話される西岡さん。 

 

 

今日はこのところの猛暑がちょっと落ち着いて涼しいです。

雨も降ってるので気温も下がっているのかな。

そろそろ、夏も終わり‥季節は秋へ。

 

そんなわけでギャラリー内も恒例の模様替えです。

 

<お月見を楽しみながらお食事。。>

2013秋.JPG 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

<タジン鍋で美味しい夕食。日本酒も意外と合うみたい> 2013秋2.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(‥って後で画像を見ながらキャプションをつけてみました。

とにかく秋らしいディスプレーを、とだけ考えてセッティングしたので‥。)

 

今年の夏は思いのほか暑く、食欲もなく‥(ってこともないか)冷たいものばかり飲んだり食べていた気がするけれど、これからは温かいものも美味しい季節になってきますね。

秋は美味しいものもたくさん。

旬のもの、好きなもの、美味しいものをこれまた素敵なうつわに盛り付けて食べる幸せ‥♪

生活の中の色んなことを幸せに感じることができたらいいですね。

 

 

 

お盆です。

ギャラリー洛中洛外は営業しております。

今日も朝からお客様に来て頂きました。

ありがとうございます。

 

今日は京都は大文字送り火があります。

一昨年は見に行ってたんですね?。

2011/8/17のブログ

 

ご先祖さまに感謝するということをこの時期になると改めて思います。

そして、自分が小さいころから教えてもらっていたご先祖さまを敬うということをまた子どもに伝えていかないと、と思います。

なんて、年をとってきた証拠ですね。。

 

 

皆さん、こんにちは。

あちこちで聞き飽きたかもしれませんが‥暑いですね?今年は特に。

熱中症には気をつけてくださいね。

夏休みまっただ中ということで、京都市内を車で走っていると「長野」とか「富山」とか他府県ナンバーの車も多いです。

さぞかし、来られた方は暑い京都にびっくりされているでしょうね‥

 

そして、もうすぐお盆です。

ギャラリー洛中洛外ではお盆も休まず営業しております。

 

お盆に京都に来られる方、帰省される方、ぜひぜひギャラリー洛中洛外へ。      →お店紹介とアクセス

涼しい店内でうつわいろいろありますので、ゆっくりご覧になって下さい。

営業時間は10時?5時まで。

美味しいお茶とお菓子もご用意してお待ちしております。

 

DSC05354.JPG 

 山本雄次作

天魚(あまご) 壺

皆さん、こんにちは。

浜松旅行記第2回です。

次はなんといっても強烈な印象の「竜ケ岩洞」(りゅうしがどう)

ここは、浜松市北区引佐町にある浜松インターから30分、浜松いなさインターから10分のところにある鍾乳洞なんですが‥すごい鍾乳洞なんです!

竜ケ岩洞の入口↓

竜ヶ岩洞1.JPGここは、1981年に戸田貞雄さんという人がたった一人で一輪車に泥を積んでは運び出し、鍾乳洞があるはずだと掘っていたのがはじまりです。

 

 

 

 

 

戸田さんはこの鍾乳洞のある引佐町で生まれ育ちました。小さい頃から働き者だった戸田さん、二度の戦地出征から帰ったあとは、材木の会社を立ち上げました。

常に自分の会社の利益だけでなく、仕入れ先や得意先、まわりにも得があるように願いながら仕事を進めました。

また、ふる里がさびれていくのを惜しみ、観光協会を立ち上げ公園や山の家、川の家、奥山高原など次々と観光事業に着手しました。

 

竜ヶ岩洞3.JPG←鍾乳洞に入っていく時はワクワク! ひんやりした風が気持ちいい?。

 

この鍾乳洞がある竜ヶ石山も、もとの持ち主は戸田さんではなく、石灰石を採る事業をしていたところでした。しかし、そこの経営がたちゆかなくなり撤退するということで、それでは働いている人が困るだろうと戸田さんがこの土地の持ち主となり採石場にしました。

ところが、その採石場も休業となり、この竜ケ石山がだんだんさびれていくのを寂しく思っていた戸田さんは大正時代にここに小さな鍾乳洞があったことを思い出し、もっと大きな鍾乳洞を見つけ、観光地にし、人を呼んで活性化できないかと考えます。その時戸田さん73歳!

戸田さんは早速一人で洞窟の中に入り一輪車で粘土を積んでは運びだすことをはじめます。

 

この間、戸田さんは、危ないと心配し、またそんな道楽のようなことをしても無駄ではと言う家族の反対を押し切り、山の中の小屋に一人で住んで作業を続けていました。また、周りの人も洞窟の作業なんてこわいし、暗くて気味が悪いと誰もほとんど手伝ってくれませんでした。

しかし、必ず新たな鍾乳洞はあるという希望を信じた戸田さんは一人でも作業を進めます。そこへ洞窟愛好家という若い二人がたまたまこの場所に来、この二人も作業に加わったことで、勇気を得て作業を進め、ついに鍾乳洞を見つけます。

 

↓実際に掘り進んだ穴。どのように進んだかパネルで表示してあります。

 

竜ヶ岩洞4.JPG戸田さんがこの鍾乳洞掘りを初めて5ケ月後には大広間といわれるところに到達、そしてその1ケ月後ついに黄金の大滝といわれる、大きな滝がある場所に到達しました。ここは実際通りましたがすごく迫力のあるところです。

ここを発見された時はさぞや感動されたと思います。

 

さてこうなると周りもほっておきません。戸田さんの言っていたことは本当だったんだと家族や町の人々も協力しはじめ、観光事業にしようと町ぐるみで進めていきました。

その後、調査と開発がすすめられ、この鍾乳洞は一般公開されるに至りました。

戸田さんが一人で洞窟に入って調査し始めてから2年2カ月のことでした。

一般公開されるやいなや大勢の人が押し寄せ、戸田さんたちが思った以上の観光スポットとなりました。

平成17年には入洞者1000万人を記録しています。

 

しかし戸田さんは一般公開されて3年後、78歳でその生涯を閉じられました。

 

その後、ここの鍾乳洞の所長を戸田さんの息子さんが務めて、息子さん亡き後お孫さんが務めています。

はじめに開発に携わった洞窟愛好者の方も今もこの鍾乳洞の発展に貢献されています。

 

さて‥私がなぜこんなことに詳しいのかといいますと‥

竜ヶ岩洞6 (2).JPG←この鍾乳洞の売店に創設者戸田さんの半生が漫画になったものが売られていたので買って読んだからです。とても詳しく面白く書いてあります。

こんにちは。ここに書くのも久しぶりです。

毎日ほんとうに暑い日が続きますが、皆様お元気ですか?

私は先日お休みをもらって家族で旅行に行ってきました。

行き先は浜松。浜松餃子を食べたり、浜名湖のうなぎを食べたり、うなぎパイを作っている行程を見せてくれる「うなぎパイファクトリー」も行ったりとグルメも楽しんだのですが‥

うなぎ.JPG←浜名湖のうなぎ。すっごく美味しかったです!やっぱり名産と言われるだけあります。

 

うなぎパイ1.JPG

 

 

 

 

 

「うなぎパイファクトリー」前のトラックに乗った巨大なうなぎパイ。記念撮影のスポット。

見学するとうなぎパイをお土産にくれます。

 

 

 

しかしなんといっても印象に残ったのは「浜松城」と「竜ケ岩洞(りゅうがしどう)」

まず、「浜松城」

 

浜松城1.jpg 

天に向かってそびえたつ「浜松城」

この石垣は400年前からのもの。浜名湖の石を上下に組み合わせて積む「野面積」という方法で作られています。

 

 

 

  

 

 

 

 

「家康くん」キャラクターがいるみたいです。

毎週日曜日には場内をお散歩しているみたいです。

この猛暑の中‥熱中症に気をつけてね、家康くん!

 

浜松城2.jpg←今気づいたけど、「まげ」がうなぎになってる!

そして音楽の盛んな浜松らしく、袴が鍵盤!