こんにちは。今日も祗園祭のお話をしたいと思います。ギャラリーの洛中洛外図(陶板)には7つの鉾や山が描かれているのですが、その鉾が現在はどういう形なのか実際に見に行き、そして一つ一つの鉾のいわれなどを知るたびにとっても面白くてここで紹介せずにはいられなくなってしまいました。(皆様、もう少しおつきあいを)
そして山鉾巡行は終わりましたが(今年は、日曜日ですごい人出だったそうです)、祗園祭自体はまだ終わりではなく7月いっぱい続いています。このあと神幸祭や花傘巡行があり、31日の疫神社夏越祭で1ケ月続いた祗園祭は終わります。
さて、今日はこの船鉾をとりあげたいと思います。
これがギャラリーにある洛中洛外図の船鉾です。
ギャラリーの陶板が見られるサイトはこちら→☆(右隻の右寄り中央に祗園祭の鉾が描かれています)下に車がついていて山鉾巡行にはこの車で動かすんですね。 その名の通り、船の形をした鉾です。
そして、実際の船鉾がこちら。
すごく豪華な船ですね。天井にまで装飾がほどこされているそうですよ。
反対方向から写したのがこちら。鉾の先にいるのは鷁(げき)と呼ばれる想像上の瑞鳥だそう。船の横には見事な龍の模様の刺繍が。素晴らしいですね。
この船には4人の方が乗っておられます。まず真ん中に座っておられるのは神功皇后。妊娠中に戦に出陣し、勝って帰った後、無事皇子を出産された、ということで安産の神様とされています。
この祗園祭の山鉾巡行に神功皇后のご神体に帯を沢山巻き、それを腹帯として授与されるということです。
皇后の両側に立っておられるのは住吉、鹿島明神。皇后をお守りして一緒に戦に行かれる方です。
そして、一番左の赤い髪の人で、何かお団子らしきものを差し出している人。
この人は阿曇磯良(あづみのいそら)という海底にすんでいる神様ですが、皇后に呼ばれても顔に貝などがついていて醜いのでなかなか海から出てこなかったそうです。
そこで、考えた住吉の神様が磯良のすきな舞を奏して呼び寄せました。磯良は龍宮から霊力を持つ珠を借り受け、それを皇后に献上しました。ここにはその場面が描かれていると思われます。そう、お団子ではなくて、霊力を持つ珠だったんですね。その珠のおかげで皇后は出兵に成功したということです。(『日本書記』)
今まで何回も陶板を見ていましたが、そんな意味があったなんて今回初めて知りました。皆さんもギャラリーに来られたら、ぜひ陶板の中のこの場面を見て下さい。
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