こんにちは。今日は連休中に京都高島屋さんで開催された河井寛次郎展に行ってきたのでそのお話を―。
河井寛次郎の生誕120年を記念した展示会でした。(会期は5月5日まででした)
河井寛次郎は1890年島根県生まれで東京高等工業学校で窯業を学び、そのあと京都の陶磁器試験場で釉薬を研究。
1920年に清水六兵衛の窯を譲り受けて京都の五条坂で窯を開きました。陶芸をはじめ書や木彫り、デザインなど暮らしの道具全般にわたってその独自の世界感を表現しました。また、人間国宝も文化勲章も断り、一陶芸家としてその生涯を貫きました。
柳宗悦や濱田庄司とも親交を深め、日々の暮らしで使う無名の職人が作った美術工芸の美を発掘し、世に広めることに努めた民芸運動に深く関わりました。
その仕事場兼住まいは今は河井寛次郎記念館として京都の東山区五条坂にあり、河井寛次郎の世界をかいま見ることができます。
記念展は陶芸作品や木彫・家具・書の作品などが展示してありました。寛次郎の独特の世界感に引き込まれました。あたたかい、おおらかな空気が漂っているのですが、そのひとつひとつが寛次郎の信念に支えられて作られ、選ばれたものという感じを受けました。
また、寛次郎は自分の信条を言葉にして色々残しているのですが、この展示会で私が一番心に残った言葉は「物買ってくる 自分買ってくる」というものです。
柳宗悦と濱田庄司と一緒に古道具屋などに後に民芸と呼ばれる古いよいものを探しに行き、そこで自分の琴線に触れるものを見つけると声をあげ、体を震わせ、時には涙をながすこともあったそうです。
大変おこがましいのですが、私も陶器や絵で惹かれるものに出会った時、心に響くものを感じ、しばらくそこに立ち止まってしまいます。
うちに来て頂くお客様でも、とても気に入ったものを見つけられると本当に喜んでおられます。「物を買う」ということは、自分の中にある美意識や感性と響きあうものと出会う、ということでもあるのかなと思いました。
これはギャラリー洛中洛外にある河井寛次郎の壺です。
そして、河井寛次郎の無二の親友として歩んだのが、濱田庄司です。河井寛次郎、柳宗悦と共に民芸運動を広め、第一回人間国宝となった陶芸家です。
その濱田庄司を主人公にした小説をその展覧会で購入しました。読んでみると、ぐいぐいひきこまれ、とても面白かったです。
今まで、河井寛次郎自身が書いた本や濱田庄司の自伝なども読みましたが、失礼ながらこの本が一番面白かったです。
河井寛次郎の人となりもすごくよく描いてありました。小説なので、多少想像して描いたとは思いますが、色々な文献から事実に基づき、書いてあるのでリアリティもありました。
これがその本です。丸山茂樹著『陶匠 濱田庄司 青春轆轤』という本です。
濱田庄司と河井寛次郎、それにバーナードリーチや富本憲吉らが陶芸に関して寝食を忘れるほど、没頭し、そして議論ややりとりによってまたお互いを高めていき、心から自分のしている仕事を極めようとする姿に感動しました。
今から思うとうそのようなそうそうたる人々が同じ時代に生き、お互いに交流していたかと思うと鳥肌がたちます。陶芸家だけではなく志賀直哉や岸田劉生などとも交流があったようです。そういう人々がお互いに切磋琢磨していたからこそ、後世にまで残る作品を残すことができたのかもしれません。
特にこの本の中で、イギリスで三年間創作活動をしていた濱田庄司が帰国して、河井寛次郎に迎えられる場面があります。
寛次郎は濱田庄司が無事帰ったことに涙を流して喜び、手をとってこれから一緒にいられることに喜びます。濱田庄司はこんなにも自分のことを待ってくれた人は他にはいないと感動します。大人になって、感情をあらわすことにためらいや恥ずかしさを感じることがありますが、寛次郎はいつまでも子どものような純真な心を持っていたのだなあ、と思いました。そんな心を持っていたからこそ、飽くことなく一生創作活動を続けられたんだと思います。
寛次郎の姿が生き生きと伝わってきた本でした。興味を持たれた方は読んでみてください。
今回の展示会に行って、河井寛次郎の世界に改めて触れ、本当に良かったです。記念館も昔一度行ったきりなので、また行ってみたくなりました。
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